コンピュータと子どもの表現

子どもとともにあるコンピュータをめざして

川崎ふたば幼稚園園長
洗足学園短期大学助教授
小川 哲也

コンピュータ導入の経緯
 川崎ふたば幼稚園がコンピュータを導入したのは15年ほど前である。最初はあるメーカーが「幼児教育用コンピュータ」と称して出していたものを2台、次に「MSX」という、テレビにつながる安価なパソコンを6台導入した。どちらの機種も、メーカーやソフトハウスが製作した幼児教育用ソフトウェアが入っており、当時としてはなかなか出来がよかった。体裁はゲームのようだが、子どもたちのイメージや創造性を刺激して、かなり主体的に遊べ、自由度も比較的高いものであった。
 この2機種を使用していた時代は、クラスを半数ずつ(約15名)のグループに分け、グループごとに週1〜2回、30分程度コンピュータルームで遊ぶという形式をとり、保育者が簡単な指導案を作成し、かなり指導的な保育を展開していた。子どもたちはそれなりに楽しく遊び、友達同士で相談したり工夫したり姿が見られ、一定の効果はあったように思えたが、やはり特別な活動という感は拭えないものがあった。これは、子どもがコンピュータを特別視していたというよりわれわれ大人の方が特別な機械として見ていたことが原因であろう。
 この活動の際、大変示唆に富む光景を見たことがある。MSXのソフトウェア群の中に「消防士ゲーム」というのがあった。これは、8×8程度のマス目の中に何カ所か火事になっているマスがあり、いろいろな形のホースを選択して、マス目の角にある消防車から火事のマスまでつなぎ、消火するというゲームである。私は当初このゲームがあまり好きではなかった。というのは、あまりにも目的がはっきりしたゲームであり、子どもたちの思考が課題達成のために収斂してしまい、イメージの広がりがないように思えたためである。ところが子どもたちは私たちの予測を裏切り、わざと火事ではないところにホースを持っていき「水漏れ」を楽しんだり、最短距離ではなく、どれだけ遠回りでホースをつなげるかを競ったりして楽しみ始めたのである。
 この光景を見て、われわれ大人がコンピュータを特別視している限り、その特性や長所を生かしきれないけれども、保育者がコンピュータを他の遊具や環境と同じように研究することが出来れば、普通の遊具として子どものイメージを広げたり、さまざまな遊びのきっかけになるような環境として使えるのではないかと思えた。

現在のコンピュータ環境
 現在園の中にコンピュータが14台設置している。「コンピュータルーム」に7台、各保育室に1台ずつ(7クラス)である。各保育室のコンピュータは子どもたちが勝手に電源を入れ、好きなソフトで遊んでいる。「コンピュータルーム」のコンピュータには各保育室のコンピュータに入っているソフト以外にもさまざまなソフトを入れてあり、そのようなソフトで遊びたい子どもたちは友だちを誘ってこの部屋に来る。「コンピュータルーム」だからといって子どもたちはコンピュータで遊ばなければいけないのではなく、折り紙やあやとり、お絵かきで遊んでいる子どもたちもいる。
 子どもとコンピュータが一対一になるのを避けるため、これ以上台数を増やす計画はない。子どもたちは友だちと相談したり協力しあいながら遊びを展開している。時にはマウスの取り合いや意見の違いなどがきっかけとなってで喧嘩になることもあるが、それは他の遊具でも同様で、社会性の発達に寄与していると感じている。
 また、コンピュータルームには各学年の子どもたちが集まってくるので、ある種の縦割り的な活動(年長組の子どもが年中や年少の子どもたちにやり方を教えるなど)が自然発生している。最初は、年少組の子どもたちが年長組の子どもたちの迫力に圧倒され後ろで指をくわえているのを見て、年少組だけが使える時間を設けた方がよいかとも考えたが、年長組の子どもたちが他の遊びに移りコンピュータが空くや否や、それまで年長組の子どもたちがやっているのを観察していた年少組の子どもたちが、自分たちのイメージを膨らませきって楽しむ姿を見て、縦割りの良さを再認識した。
 現在、コンピュータを子どもたちの生活の中に入れることの位置づけを次のように考えている。
1.応答的遊具の一つとして
2.子どもの自己表現の道具の一つとして
3.さまざまな遊びや活動を誘発する環境の一つとして
4.総合的活動の中の一つの道具・基地として
すべての項目に「一つ」という言葉を使っているのは、どんな遊具や環境も「唯一無二」というものはなく、子どもの個性や発達段階、集団の状況、活動の内容などによってさまざまな遊具や環境の中から子どもや保育者が自由に選び取っていくものであるから、ということは言うまでもない。
 以下、それぞれの項目に沿った実践例を紹介する。

応答的遊具の一つとして
 コンピュータがテレビやビデオと違う点の一つは、応答的だということである。ピアジェの理論を持ち出すまでもなく、子どもは応答的環境の中で発達する。
 年度初め、新入園の子どもたちが最初にコンピュータに触れる時期、「絵本ソフト」を積極的に出している。画面に映る絵本の中のさまざまな場所をマウスでクリックすると、その場所に描かれているものにふさわしい動きが起きるようなソフトである。マウスの使用法の習熟という面もないことはないが、それよりも、応答的な環境を経験することで子どもたちが自分の行動に自信を持ち、気持ちや生活が安定するという効果がある。誰かが新しいクリック場所を発見すると、他の子どもたちがその子をたたえ、まだ希薄な人間関係が徐々に育っていくという姿も見られる。
 ただ、このようなソフトはそれ以上活動の発展が見込まれないので、ある程度マンネリ化してきたら他のソフトの存在にも気づいてもらう工夫をしている。

子どもの自己表現の道具の一つとして
 これについては別の章で阿部アサミ氏が詳しく書かれていると思うので、ここでは表現道具としてのコンピュータの、非常に印象的だったエピソードと問題点を述べるにとどめる。
 ある年長組の男児。大変ナイーブで遊びに自信が持てず、友だちとの関係にも不安を持っている様子であった。あるときコンピュータでお絵描きできることを知り、しばらく遊んでいた。いろいろな道具(虹色の筆・描いたものをゆがませる、など)を見つけ楽しそうに描いていると他の子も彼の発見や発想を認め、教えてくれと頼むようになった。何回かそのような経験をするうちに、他の遊びにも自信を持って取り組めるようになり、友だちとの関係も目に見えて安定していった。
 コンピュータのお絵描きの特徴に、「すぐに消してやり直せる」ということがある。前述の男児の場合、そのことが不安を軽減してくれたという効果があったが、ややもすると取り組みに緊張感がなくなったり達成感が少なくなってしまう危険がある。保育者の配慮が重要であると思われる。

さまざまな遊びや活動を誘発する環境の一つとして
−電車ごっこ−
 コンピュータの画面上に線路が描かれ、保育者が描いた電車が走るというソフトを作り、子どもたちが遊ぶソフト群の中に忍び込ませておいた。それを発見した子どもたちが「僕が描いた電車も走らせたい」と言ってきたので、描いた電車の絵を取り込んで、コンピュータ上で走らせた。子どもたちは大喜びで、何人もの子どもの電車が走るようになった。そのうちある女児が電車の切符を作り始め、他の子が縄跳びの縄をつなぎ合わせて電車を作り、コンピュータの電車ごっこから本格的な電車ごっこへと発展していった。また、他のグループの子たちは「コンピュータの電車は音がしない」と保育者に訴え、電車の音を「ガタゴト、ガタゴト」と録音して、電車が走るのに合わせて自分たちの「音」が出るのを楽しんだ。
−ドングリ拾い−
 あるとき知人からドングリをいただいた。本園は自然環境に乏しい地域にあるので普通にはドングリ拾いができない。保育者たちは、子どもたちがドングリの形に興味を示したり大切にしてほしいと思ったが、ただ渡すだけではそのようなねらいは達成できないと思われたので、ドングリを園庭に隠しドングリ拾いをする計画を立てたが、保育者が誘っても「やらされている」「保育者のためにやっている」という思いになってしまうのかと危惧した。そこで“月に住んでいるふたばちゃん”が「ドングリをおみやげに持ってきたけれど、ちょっといたずらなので、ドングリを隠した」というメッセージを伝えるソフトを作り、子どもたちが遊ぶソフト群に忍ばせた。それを発見した子たちは目を輝かせ、友だちや保育者を誘って園庭にドングリ探しに出かけた。探し出したドングリは大切に扱われ、子どもたちのいろいろな製作に登場した。
 子どもたちにとって、この「ドングリ拾い」では保育者は指導者の立場ではなく「仲間」であった。
−ふたば動物園−
 遠足で動物園に行くことになったある日、子どもたちが好きな動物を描くことになった。描きあがった動物を保育者が用意した「動物園(模造紙に“オリ”に見立てたビニール袋をいくつか貼り付けたもの)」に入れていき、「ふたば動物園」が完成した。そこで保育者が「でも、動物たち、動かないね」と言葉かけをしたところ、「園長先生に動かしてもらおうよ」という声が上がり、園長が徹夜で絵を取り込み動くソフトを作成した。子どもたちは喜び、自分の動物が出てくると歓声を上げ、鳴き声をまねして録音したりして遊んだ。
 ある子どもが、動物だけでなく「トンネル」を描いたのでそれも取り込んで、オリからオリへ移動する道にはめ込んだ。遠足当日、動物園の道に本当にトンネルがあり、描いた本人だけでなく他の子どもたちも歓喜の声を上げていた。動物を観察する様子も、いつもに比べて真剣さが増していたように思う。

総合的活動の中の一つの道具・基地として
 この側面については、私自身の能力不足とソフトウェアのの未成熟という理由から、まだ本格的な取り組みができないでいる状態である。わずかに、最近「お手紙ごっこ」をコンピュータのメールと組み合わせ、他の幼稚園とも文通する試みを行っているが、メールソフトのインターフェースが子どもには難しく、盛り上がるには至っていない。
 しかしこの実践を通して、コンピュータは子どもの生活の中でこのような側面における新たな可能性を見せてくれる道具だということを実感している。

おわりに
 コンピュータを「機械だから」という理由だけで遠ざける雰囲気が幼児教育界にあることを残念に思う。たとえば障害児(者)教育の現場では、子どもたちがその子なりの発達を遂げ豊かな人生を送るという目的のためには手段を選ばない、という情熱に満ちあふれているのと比べ、幼児教育界はあまりにも保守的・教条的であると感じる。保育は最終的に「人」であり、私たちは伝統的な遊具から最先端のものまでを、子どもたちのために有効に使える「人」でありたい。