「教育課程論」三晃書房(教科書)1994

幼児期におけるコンピュータ利用

 近年、コンピュータは我々を取り巻く環境に急速に浸透しつつある。1980年ごろから流行しだしたファミコンのようなテレビゲームは、もはやブームなどという一過性の現象ではなく、子ども社会の文化の一つになってしまったことは否定のしようがないであろう。このことの良し悪しはあとで吟味するが、現在では「子どもにファミコンを与えるべきか否か」ではなく、「どのように与えるべきか」を議論する段階になっていると言える。また、パーソナル・コンピュータ(パソコン)や、パソコンの特殊な形態であるワードプロセッサ(ワープロ)の普及もめざましく、多くの子どもたちの目に触れ、触れるレベルになっている。実際、幼稚園の子どもがパソコンやワープロで文章を書き、保育者や友だちに手紙を送るようなことも見られるようになっており、大人を驚かせている。

 もちろん、コンピュータはファミコンやパソコン・ワープロだけでなく、直接我々の目に触れないところにも入り込んでいる。列車の運航制御や自動車のエンジンのコントロール、果ては炊飯器やエアコン・洗濯機などのコントロールにまでコンピュータが使われている。現在の子どもたちが社会で活動するころにはコンピュータはますます普及し、生活に身近なものとなることが予想される。

 以上のような現状と将来を考えると、幼児教育の世界だけがコンピュータを無視したり拒否したりするのは子どもたちの将来に対して無責任だとも思える。もちろん教育とは社会や時代に安易に迎合すべきものではないが、子どもたちが社会の中で自分の能力を精いっぱい活かしてのびのびと活動できるように、新しい現象や物に対しても研究や吟味をするべきであろう。

 この章では教育機器あるいは遊具としてのコンピュータの特徴について理解し、ついで保育への導入に対する基礎知識や考え方・具体的な利用の例などを学習する。

I保育環境としてのコンピュータの普及とその意義

 この節では、まずコンピュータの機能や概念についての基礎的な知識やを学び、つづいて、保育機器としてのコンピュータの特徴について理解する。コンピュータに限らずどのような遊具・教具にも長所と短所があるのは当然である。保育者は、短所がある遊具だからといってそれを拒否するのではなく、その長所を活かし、短所を避ける工夫をして有効に活用していくべきであることを念頭において学習していただきたい。

1.コンピュータの基礎知識

 コンピュータの保育場面への導入の是非についての現在までの議論の多くが、コンピュータに関する誤解や無知から発しているというということが、さまざまな方面から指摘されている。そこでまず、コンピュータそのものに関するごく基本的な知識について学習し、保育への導入について令婿かつ客観的な考察ができるようにする。

1) コンピュータとは

 「コンピュータ」という言葉は、使う人や分野によってさまざまな意味や概念を指し示すが、ここでは次のように定義しておく。

「電気的な計算装置を持ち、数字だけでなく文字やグラフィック(絵)も処理をできる機械。一般的に入力装置と出力装置を備える。」

 電卓などは電気的な計算装置を持っており、入出力装置も備えているが、処理できるのは数字だけなのでコンピュータとは呼ばない。

 入力装置や出力装置の形態や性質、操作性はコンピュータの歴史の中で大変に進歩しており、将来も進歩し続けるであろう。コンピュータの最初の入力装置は、オンとオフを切り替えるスイッチがたくさん並んだようなもので、一般の人間には全く操作できないものであった。そこに、タイプライターと同じ、文字を入力できるキーボードを接続できるようになって飛躍的に一般に普及することとなった。また、近年普及してきたマウスと呼ばれる手のひらにおさまる装置はキーボードの補助として使いやすいものであるし、現在から近い将来にかけては、手書き文字入力や音声入力も手軽に使えるようになることであろう。実際、タッチパネルと呼ばれる装置は指やペンで描いたものをそのまま画面に表示したり髪に印刷することができ、幼児にも扱える環境が整いつつある。また、障害者のために、目の動きやほんの少しの指の動きだけで入力できる装置も開発されている。

 出力装置も最初はモノクロのプリンタ(印刷装置)だけであったが、テレビと同じように画面表示できるモニタが開発され、プリンタもカラー表示が可能になっている。さらに、コンピュータで作成した文章やデータを電話回線を使って遠く離れた場所へ出力することもできるようになっている。

 最初のコンピュータは大変に巨大で、ビルの1フロアを占領するほどであり、扱いも非常にデリケートで、コンピュータが置かれている室内を常に同じ温度、同じ湿度に調整しなければならず、床の振動を押さえる対策が必要だった。しかし現在のコンピュータは家庭用のテレビ程度の大きさにまで小さくなり、温度や湿度、振動に対しても普通の家庭電気製品程度の気の使い方ですむようになった。価格も個人の手の届くところまで安くなり、「パーソナルコンピュータ(パソコン)」と呼ばれる種類のものが一般的となった。現在のパソコンは最初のコンピュータの100分の1以下の大きさと価格で、100倍以上の性能を持っている。

 ワードプロセッサは、文章を描くことに目的を絞ったコンピュータであり、機械の中味はほとんど普通のコンピュータと違いがない。コンピュータは文章を作成するだけでなく、計算したり絵を描いたりゲームをしたりと、さまざまなことができるが、一つの仕事に関してはワードプロセッサなどのような専門化した機械の方が操作しやすいように工夫がなされている。テレビゲームももちろん一種のコンピュータである。最近はテレビゲームの機械を使って証券の取り引きなどができるシステムも開発されている。今後、ワードプロセッサだけでなくいろいろな目的に合わせて専門のコンピュータが出現するであろう。

2) ハードウェアとソフトウェア

 コンピュータのシステムは、ハードウェアとソフトウェアに大別される。ハードウェアとはコンピュータの機械そのものであり、ソフトウェアとはその機械の機能を利用してさまざまな目的を達成するための手段を記述した「プログラム」である。テレビでいえば、テレビ受像機本体はハードウェアで、テレビ局から電波で送られて来る番組(プログラム)がソフトウェアに当る。

 番組の電波がなければテレビは機能しないのと同様に、コンピュータもソフトウェアがなければ何もしてくれない。つまり、あるコンピュータが優れているかどうかはハードウェアの性能だけではなく、むしろその機種に良いソフトウェアが揃っているか、あるいはそのハードウェアが良いソフトウェアを実現できるような設計になっているかどうかが重要なポイントになる。

 一般のユーザ(使用者)はハードウェアやソフトウェアの内部構造について知る必要はほとんどない。普通の人がテレビの構造や電波の概念についての知識がなくても、何の問題もなくテレビを見ることができるのと同じである。ただし、ハードウェアやソフトウェアの取り扱い方については熟知し、故障を起こしたり機能を使いこなせないことがないように心がけたい。

 ハードウェアについては、前項で述べたような入出力装置があり、時代とともに進歩し、またバラエティーに富んできているが、ソフトウェアについても同じような変遷が見られる。最初、ソフトウェアは紙テープや磁気テープの形で保存されていたが、現在ではほとんどの場合、フロッピーディスクと呼ばれる薄い円盤や、ハードディスクと呼ばれる硬い円盤(コンピュータ本体の中や別の機械の中に設置されているので一般のユーザはほとんど目にしない)、あるいは光ディスクと呼ばれる円盤(音楽などのCDにそっくりなもの)に保存されるようになり、以前に比べて非常に大きなプログラムも手軽に扱えるようになってきた。また、テレビゲームやごく一部のパーソナルコンピュータのソフトウェアは「ROM(ロム)カートリッジ」と呼ばれる電子的な記憶装置に保存されていることもある。

2.保育環境としてのコンピュータ

 ここでは幼児の生活を取り巻く環境の一つとして考えた場合、コンピュータはどのような特徴を持っているかを考察する。

1) 保育理念とコンピュータ

 幼稚園で保育を行う場合、幼稚園教育要領がその基本に置かれることは周知のとおりである。平成2年度から施行された教育要領は、以前に増して「環境による教育」という考えが強調されている。この「環境」についてわれわれがイメージするとき、多くは「自然的環境」を思い起こす。しかし、子どものみならず大人を含めた人間全体を取り巻いているのは自然環境だけではない。現代では飛行機が飛び電車や自動車が走り、テレビやラジオ、CDやテープなど、さまざまな人工物も環境の中に存在する。住宅や書物など、極端にいえば食物にいたるまで人工のものの占める割合は大きいし、人工物なくして人間は生きていけなくなっている。そのような時代だからこそ自然に触れることを保育の重要な目標にする必要があるが、だからといって人工的なものを無視したり拒否するのも現実的ではない。

 現在の幼稚園教育要領に大きな影響を与えているといわれる倉橋惣造は、もちろん自然環境の力を重視したが、それだけでなく、日本のみならず世界各国をまわり、その時代の最先端の玩具や機器を入手し保育に導入した。また、アメリカの教育理念の祖ともいえるジョン・デューイは、「子どもを取り巻く環境は、現在の社会の縮図でなければならない。」という意味のことをその思想の柱の一つにあげている。以上のようなことを考えてみると、コンピュータが社会に普及してきている現代、少なくともこれをあたまから無視せず、保育との関連において研究するべきだということは明らかであろう。

2) ピアジェ理論とコンピュータ

 発達心理学者のピアジェは、子どもの発達は同化と調節によって行われると述べている。詳細は乳幼児心理学の教科書などを参考にされたいが、おおざっぱに言えば、同化とは「自分の持っているシェマを実際の現象に照らして正しいことを確認する行動」、調節とは「実際の現象が自分の持っているシェマと食い違う場合、自分のシェマを手直しする行動」といえる。

 このような行動(正確には「認知過程」)は、子どもが自ら積極的に自分を取り巻く環境に働きかけ、その結果として環境から反応を受け取ることで実現される。このような環境のことを「応答的環境」と呼ぶ。応答的環境を象徴的に実現したものが、有名な「トーキング・タイプライター」である。これは、子どもがタイプライターのキーボード上のキーを押すと、そのキーに書かれているアルファベットを機械が発音してくれるという単純なものであったが、子どもたちは非常に興味ぶかげに何回もキーを押して楽しんだという。

 コンピュータは乱暴に言えばこのトーキング・タイプライターをもっと複雑にしたものだといえる。つまり、子供、あるいは大人がコンピュータの入力装置を介してなんらかの働きかけをすると、コンピュータはその働きかけに応じてさまざまな反応を返す。その子供が、自分の目的にかなった働きかけをすればコンピュータは子供の予測通りの反応を返すし、逆に自分の目的とは違った働きかけをすれば、予想しない反応が返ってくる。これはまさに同化と調節を促すことになるのである。

 ここで注意したいのは、ピアジェはこの同化と調節という過程は人間が生まれ持っている本能的活動で、誰かに強制されて行われるのではなくあくまで子供の主体的活動である、と主張している点である。コンピュータのソフトウェアによっては、コンピュータの側から子供に働きかけを強制するようなものがあるが、これは主体的活動とはいえない。初期の幼児用コンピュータで流行した「こちらの池にはさかなが2匹、あちらの池にはさかなが4匹います。合わせて何匹いるでしょう」という文章と絵がスクリーンに現れて、子どもが正しい数字のキーを押したら華やかな絵とともにファンファーレが奏でられ、まちがえると暗い音楽が流れるようなソフトウェアは、主体的活動でないという以前に、外発的動機づけによる条件反応に陥ってしまっている。テレビゲームのソフトウェアもほとんどがこの類で、幼児の生活や保育に適するものではないことは自明の理である。(外発的動機づけや条件反応、条件づけについての詳細は、教育心理学の教科書などの「行動主義心理学」あるいは「学習理論」の項を参考にされたい)

 最近の幼児用ソフトウェアは、「教え型」のものから「環境・遊具型」へと次第に移行しつつあるが、いまだに充分といえるレベルではない。他の遊具と同様に、実際に子どもが遊んでいる姿や保育者の経験によって培われた知識などをきめこまかく参考にした、主体的・自発的にかかわっていけるソフトウェアが出現することを期待したい。

3) コンピュータ・リテラシー

 コンピュータ・リテラシーとは、コンピュータに慣れる、というような意味だと理解していただきたい。保育場面へのコンピュータ導入肯定論の中に、「これだけ世の中にコンピュータが普及してきて、これからますます生活に浸透するであろう。次世代に生きる子どもたちも、コンピュータの操作法を早い時期に知っておかなければ」というものがある。日本では、コンピュータ・リテラシーはこのような考え方と同義としてとらえられている。しかし、以前テレビが普及し始めた頃、チャンネルの切り替え方を学ばせただろうか。祖の時代の教師たちはそんなことよりもテレビを見る時間を子どもたちにどう自分自身でコントロールさせるか、子どもたちの生活にテレビをどう活かすかを真剣に考えていたのではなかろうか。テレビの操作法など大人より子どもの方がより早く覚えてしまうし、現在から振り返ってみれば、ダイヤル式のチャンネルはタッチ式のチャンネルからさらにリモコンへと進化し、もしダイヤル式のチャンネルの操作方を一生懸命学習させていたとしたら、それは陳腐で無駄なことであったと反省されるであろう。コンピュータにも同様のことが考えられる。現在主流となっているキーボードによる入力が、20年後も主流であるという保証はない。音声による入力が主流になっている可能性も高いし、少なくとも現在より手間のかからない入力方法が採用されているだろうし、ソフトウェア自体ももっと直感的に理解できる、人間の思考の流れに沿ったものになっているであろう。

 欧米ではコンピュータ・リテラシーは操作法の習熟という意味では使われていない。日本では文章は鉛筆やペン、筆などで手書きをする習慣なので、コンピュータを使うとなるとまずタイピングのような操作法を学習することが重要で一番の目的のようにされるが、もともと欧米ではタイプライターで文章を書くことが当り前となっている。そのような文化の中では技術的な意味での操作法は「コンピュータに慣れる」ことの目標にはならない。コンピュータ・リテラシーの最大の目標は「コンピュータを使ってどのように自分のやりたいことをやり、自分を表現し、創造し、自己充実をはかるか」ということなのである。それはつまり、コンピュータをどう使いこなすか、という主体的姿勢であって、どうしたらコンピュータの要求する操作ができるかというような受動的姿勢ではないのである。

 保育場面にコンピュータを導入する場合、コンピュータ・リテラシーについて良く研究することは重要であるが、決して受動的な意味でのリテラシーを考えるのではなく、子どもが主体的にコンピュータとかかわっていけ、さらにそのことで子どもの生活や発達がより豊かになるようなリテラシーを検討してもらいたい。それはたとえば「なぜ子どもにつみきを用意するのか」とか、「ごっこ遊びの中で何が育つのか」あるいは「何が育ってほしいのか」を検討するのとまったく同様である。

4) コンピュータの問題点

 現在いわれているコンピュータの主な問題点は、以下のようなものである。

a. 長時間接していると視力が低下したり、目が乾く(ドライ・アイと呼ばれる)症状が起きる。また、コンピュータの発する高周波などによる被害も指摘されている。

b. 一人で使用することが多く、人間関係が育たない。

c. 熱中するあまり体を動かしたりするような他の活動をしようとしなくなる。

d. コンピュータの方が自分のいうことを良く聞いてくれたり、おもしろいことが起こるために、コンピュータの中の世界の方を現実と思い込み(あるいは思いたがり)、本当の現実世界への興味を失ったり、コンピュータの世界のルールや内容を現実世界へ当てはめようとする。

 また、保育場面に導入する場合、問題となることは、おおむね次のようなことである。

e. 高価である。

f. こわれやすく、ほかの遊具のように気軽に扱わせられない。

g. ほかの遊具に比べて大きく重いので、保育室やホールなどに出しておくにも、しまうのにも邪魔である。

h. 電源を入れたりプログラムを入れ換えたりと、保育者がついていないと機能しないことが多い。

i. 基本的に一人で使うものなので、台数が少ないとなかなか順番がまわってこない。

 以上の問題点のうち、b、c、d、h、iは、次項で教育課程編成と関連して述べるので、ここではそれ以外の問題点について述べる。

 aについては、テレビ、ビデオなども同様の問題が起きている。特に画面の動きがはげしいゲームソフトのようなものは使用時間について子どもたちとの間で約束をするなどの対処が必要である。また、高周波については画面にかぶせるタイプの防御フィルターが市販されているので用意しておきたい。

 eについては、将来価格が安くなることも予測されるが、一般の遊具と比較して高価であることはさほど変わらない。保育目標や効果とのかねあいをよく検討して導入の是非を考えたい。また、コンピュータ購入費回収のため、小学生などを対象としたコンピュータ教室を開いている例もある。

 fについては、最近ではハードウェアも頑丈に作られ、特に入力装置の部分は強い力でたたいたり落したりしなければそれほど故障の恐れはない。また、ソフトウェアについては、原理的に使用者が壊せないようになっているので心配はない。しかし幼児のすることであるから、扱い方について最低限の約束をしてから使うようにするべきであろう。

 gについても、最近のハードウェアはかなり小さくなっているが、モニタなどは視認性の問題があり、現状より小さくすることは不可能である。大型つみきなどと同様に、園のスペースとのかねあいを検討する必要がある。

 以上のようにさまざまな問題点はあるが、どんな遊具にも導入に際して問題になる部分はある。特に新しい遊具に関しては欠点だけが注目されて、導入に消極的になりがちであるが、冷静に、長所と短所のバランスを吟味することが大切であろう。

3.教育課程編成におけるコンピュータ利用

 幼稚園での保育では幼児の主体的・自発的な活動を大切にするということは、教育要領や各授業において学んできていることと思う。それゆえ、幼児が自ら欲したり考えた活動を中心にすえ、教師はその活動がスムーズに、豊かになるように環境を用意するのであって、できるかぎり教師主導で活動することのないように要求される。しかし現在のところコンピュータが上述のような幼児の自由な活動の中に設定されている例はほとんど報告されていない。それは、おおむね次のような理由によるものと考えられる。

(1) コンピュータが高価であり、幼児が自由に使用すると故障する可能性があるため。

(2) ハードウェアやソフトウェアの操作が難しく、幼児だけでは扱えない。

(3) ソフトウェアが「教え」型のもので、教師が主導しないと効果があがらないため、授業形態で行っている。

(4) コンピュータの台数が限られているため、自由に使える環境にすると群がってしまい混乱したり強いものが独占してしまうため。

(5) 幼児がコンピュータに熱中しすぎ、他の活動に移らなくなってしまうため。

 この中で、(4)や(5)については教師の側の工夫の余地があるが、(1)や(2)については現在のところやむを得ない理由であろう。本来そのようにしか使えない遊具は排除されるべきだという意見もあるが、時間設定という枠がある程度あっても、その中で子どもたちがのびのびと主体的に活動できるようなソフトウェアや教師の配慮があるなら、子どもの自発性を損なうことはないとも考えられる。(3)についてはコンピュータの問題というよりその園の教育方針を見直す必要があるかも知れない。しかしこれまでのところ、ソフトウェアの種類が少なく選択の余地がなかったために、多くの幼稚園が授業形式で、しかも算数や文字の指導にコンピュータを使用してきたことも事実である。

 以上の状況を踏まえ、実際の幼稚園での事例を見ながら、コンピュータを使った保育のあり方の方向性を探ってみることとする。

1)表現道具の一つとして保育に取り入れた例

 大阪府のK幼稚園では、「幼児が主体的に、友だちとコンピュータ活動に取り組む中で、自らの考えを表現し合い、成就感を共有し合うことから、豊かな人間関係を育成する」ことをねらいとして、屋外の自然の中での活動と連携させたソフトウェアを使ってコンピュータ活動を行っている。池作りでは、水くみ場の鍵を落し、それを探すようなゲームをしたり、大根の栽培では大根の成長を見やすい形でモニタに再現する。これは設定された時間内で行っているが、朝と昼食後の自由あそびの時間にも幼児がある程度自由にコンピュータで遊べるようにもしている。その中で子どもたちはLOGOというグラフィック言語(後述)で絵を描くなど主体的に遊んでいる。

 このような実践の中で、子どもたちは交替や順番を決めるなどのルールの必要性に気づき、自分の考えを言ったり友だちの考えを聞いたりできるようになっていった。また、コンピュータでは間違っても何度もやり直しができるので、失敗を恐れず積極的に挑戦する態度が身についてきた。さらに、幼児たちは知的好奇心が刺激され、教師が予想もしなかったことを次々と試す。これは前述したように同化と調節を行っているのであり、科学的思考力の芽生えが見られたと言える。

2)集団遊びの道具としての導入例

 神奈川県のF幼稚園では、集団遊びでの人間関係の発達や友だち同士の知的な刺激のやり取りのための道具としてコンピュータを導入している。ソフトウェアは、環境保護の提唱者として有名な、日本在住の外国人が監修したものを使用し、屋外活動や自然への興味を持たせるように配慮している。台数や壊れやすい機械という理由のため、専用の部屋で時間設定をして、15人程度のグループで使用している。年度の当初はコンピュータのハードウェアやソフトウェアの使い方に慣れるため、教師主導で操作法を教えるが、次第に子ども主導の活動に移っていく。ソフトウェアの内容は、森の中を歩きながらいろいろな鳥や動物を探したり、ミツバチが蜜を吸うために鼻にむかって飛ぶ方向や距離を決めるゲームなどで、自然に興味を持たせるとともに知的な思考を引き出すものである。時間制限という枠は設けているが、かならずコンピュータ活動をしなければならないわけではなく、部屋には絵本や遊具が置かれ、子どもたちは何をしていてもかまわない。何種類かあるソフトウェアも子どもたちが自主的に選択する。

 子どもたちは知的好奇心を持ち続け、回を重ねるごとに充実した態度や自信が伺えるようになっていく。また、遊びのルールがわからないときには友だち同士で相談し合ったり、解決するようになっていく。さらに、年長児ではキーを押す役や考える役、指令する役、果ては他のグループを偵察する役などを分担するようになり、他の遊びにも反映されていく。