「視聴覚教育」97年5月号
はじめに
私は幼稚園教諭養成短大でも教鞭を執っており、学生の教育実習をお願いする関係でいろいろな幼稚園に伺う機会があります。ある幼稚園に初めて伺った際、主任の先生に「私どもの幼稚園は倉橋惣三先生の教えを守って保育をしております。小川先生の幼稚園ではコンピュータを導入していると伺いましたが、そのような先生が保育者をお育てになるのですね。倉橋先生が生きていらっしゃればなんとおっしゃるか・・・」と言われてしまいました。私はその先生の保育への一途な気持ちに感銘を受けるとともに「保育界でコンピュータが認知される日は遠い」と、あらためて強く感じました。なにも、どの幼稚園でも今すぐコンピュータを導入すべきであるなどとは思いません。しかし、子どもの豊かな生活と成長のために、どんなものでも研究してみる、という姿勢は持っていたいものです。もちろん倉橋惣三の時代にはコンピュータは存在していませんでしたから、彼の著書にはコンピュータについての言及がありません。でも、言及がないからという理由だけで新しいものから背を向けるのは、倉橋の伝えたかった「保育者の姿勢」とは逆であると思えてなりません。彼は諸外国の保育をその足で見聞し、その国々の玩具を収集・分析して「玩具教育篇」を著しており、その書全体から彼の旺盛な好奇心と研究心が感じられるのですから。これから私の幼稚園でのコンピュータ導入の経緯と現状をご紹介しますが、保育関係の読者の方々も「コンピュータなんて」と頭から無視せず、どうか様々な視点からの吟味をお願いいたします。
コンピュータ導入に際して
私の園でコンピュータを最初に導入したのは約10年前になります。今から思えばソフトウェアも子どもの生活に適したものではなかったのですが、子どもたちがそれで遊ぶ顔は好奇心に満ちあふれ、友達同士が相談したりする姿は大変好ましいものに思えました。コンピュータは応答的・挑戦的環境であり、同じ視聴覚的素材であっても、ビデオなどとは性格が違うと感じました。また、たとえば紙とクレヨンでのお絵描きが苦手な子が、コンピュータのお絵描きには進んで取り組み、満足げに帰っていくという姿を発見したことも、コンピュータの本格的導入を決心した一因でした。
それから様々な変遷を経て、現在は各保育室に1台ずつと、コンピュータルームに7台のコンピュータが置いてあり、子どもたちは好きなときに好きなソフトウェアで遊んでいます。保育室のコンピュータが混んでいたり、もっと他のソフトも使いたいときには、コンピュータルームに出向きます。どちらの場合も、子どもたちはコンピュータで遊ばなければいけないことはありません。コンピュータルームでも、ある子は折り紙で遊んでいますし、ある子は絵本を読んで楽しんでいます。コンピュータで遊んでいる子たちも長く遊んでいることはなく、自分が満足すると他の遊びに移っていきます。
私たちがコンピュータを本格的に導入する際に考えたことは、
・子どもとコンピュータが1対1にならないよう、環境や保育者の関わりに配慮する。
・コンピュータへの関わりを強制しない。
・コンピュータの使い方をことさら教えるようなことはせず、子どもの主体的な関わりを大切にする。
・ソフトウェアを選択する場合、「教え込み型ではなく、子どもの自由度が高いものを」「課題達成型ではなく、探索・発展型のものを」「多機能でも子どもの目当ての機能にたどりつきづらいものは避ける」という視点を重視する。
・コンピュータ遊びで経験したことが他の遊びにつながり、子どもの総合的活動のひとつの基点になるように心がける。また、出来るだけそのようなソフトウェアを選ぶ。
・コンピュータは特別のものではなく、他の遊具と同じように考えること。子どもたちもそのような気持ちになれるよう、環境や関わりに留意する。
といったことでした。
コンピュータは直接経験の敵か
このような「普通の遊具としてのコンピュータ」の活動(遊び)は子どもたちにいろいろな影響を与えたようです。さきほどの、紙とクレヨンのお絵描きが苦手な子ども以外にも、いろいろな遊びに不安を持っていた子どもたちがコンピュータ遊びで自信を持ったり安心したりという場面は数多くありましたし、友達同士がお互いのイメージを共有したり、気持ちや考えを相手に伝え合ったり、ときには喧嘩をして相手の気持ちに気付いたりという場面も多々見受けられました。コンピュータで遊んだ経験が他の直接経験(遊び)をより豊かに発展させた例も少なくありません。
このようなことは他の遊びでも見られることですが、少なくとも私の園の子どもたちについては、コンピュータ遊びを通してこのような面がよりいっそう育ったように思えます。当初予想されたマイナスの効果、例えば「コンピュータに熱中して他の遊びに関心がなくなる」「他児との接触が少なくなる」「目が悪くなる」といった問題は、全くといって良いほど見られませんでした。
これまでの実践を通して、コンピュータの可能性を活かしも殺しもするのは、他の遊具と同じように、要は保育者の的確な子ども理解と発達への見通し、総合的指導についてのきちんとした姿勢といったものがあるかないかであると実感しています。
私たちはある遊びを吟味・検討するとき、それを独立した遊びとだけ捉えず、子どもの総合的な生活の中での位置づけや役割をも視野に入れるようにしているはずです。ところがなぜかコンピュータ遊びだけは単独の活動として捉え、「他の遊びを圧迫する」「バーチャル・リアリティの世界にはまりこんでしまう」と批判してしまいがちです。もう少し柔軟な視点で、プラス思考によるコンピュータ研究をしてみても良いのではないでしょうか。